本文へ移動

諏訪神社

神社名
諏訪神社
よみ
すわじんじゃ
住所
琴浦町大字八橋1681
祭神
健御名方神 宇迦之御魂神 素盞嗚尊
祭祀
例祭10月9日10月10日の神幸祭は神輿5基。山車7台はそれぞれ趣向を凝らした各区の象徴物。
旧社格
旧八橋郡旧村社
各種指定

その他
社紋 丸に三つ柏 
主要建物 本殿(春日造変形6尺×9尺) 幣殿 拝殿 随神門 手水舎 神輿庫 
境内神社 稲荷神社 廣峯神社 粟島神社(御旅所) 
境内面積 1,68㎡
旧八橋町の西方の海岸、100段の石段を登った丘上に南西に面して鎮座。 シイを中心とする照葉樹林に覆われる。

由緒

古来から諏訪大明神と称し、清和天皇貞観3年3月(861)信濃国諏訪から勧請創立したと伝わる。
明治元年諏訪社と改め、同6年諏訪神社と改称した。
武門の崇敬が篤く、慶長7年(1602)八橋城主中村彦左衛門一英が、社領として菊里村の内高15石を寄進、同15年同藩士市橋下総が社領として、菊里村の内高30石を寄進、元和4年(1618)同藩士池田河内から社領として20石を寄進している。明暦元年(1655)に社殿建立。因伯両国主となった池田家も崇敬し、家老の八橋城主津田氏の鎮守となっていた。大正3年に八橋字大日嶺の菊里神社(素盞嗚尊)と字宮谷の岩本神社(素盞嗚尊)を合併した。
旧八幡町一帯が氏子である。棟札等を記した「社伝」が残る。 建御名方神が、出雲国から信濃諏訪湖へ向け通過の時、八橋はご休憩された霊場であるとされている。境内に腰掛岩がある。
近傍海岸には俎まないた岩があり、往古祭神のために魚貝類等を調理したとの伝説がある。
TOPへ戻る