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葦原神社

神社名
葦原神社
よみ
あしはらじんじゃ
住所
琴浦町大字湯坂38
祭神
伊邪那岐尊 速玉男命 事解男命 日本武尊 大山祇命 倉稲魂神 素盞嗚命 豊受大神 猿田彦命 大宮女神 
天照皇大神 八坂皇大神
祭祀
例祭10月10日「抱かれ子神事」…例祭までの1年間に 誕生した赤子を宮司が抱き、神前で祈願。
旧社格
旧八橋郡旧村社
各種指定

その他
通称 新の宮さん 
社紋 八咫鏡と稲穂 
主要建物 本殿(大社造変形向拝唐破風付8尺1寸四方) 幣殿 拝殿 随神門 斎館 社務所 
境内神社 御楯神社(旧安田村戦没者の鎮魂の社) 熊野神社那智神社
境内面積 1,420㎡
湯坂部落の南西、田園中に社叢があり、参道は社殿に向って下っている。東面する社殿は周囲に池をめぐらしてあり神泉橋(木製15m)が架かる。御神木は、ケヤキ(樹齢500年余幹周約6m)。シイ、タブノキ、イチョウの大木もある。
宝物等 土器、土製首飾り、矢尻(鏃)等また黒曜石などが境内から出土。安田小学校に完全な形のものが保存され、現在も出土している。

由緒

壬申の乱の後、日本国中大飢饉の国難にあたり、天武天皇は 「一国一社」の勧請を御発議、国内の安定、五穀豊穣を祈願されたという。(河合家文書)
その1社が当社であり紀州熊野から勧請されたと伝わる。熊野那智の滝の水を注ぐと、そこから湧水し、湯が坂を流れたという。(河合家文書)
湯坂は当社鎮座地の大字名である。現在も湧水があり、拝殿南側の方形の御手洗から拝殿下を通り、北側の直径15㍍の円形御手洗へ、更に新川へと注いでいる。
米子城家老横田氏の崇敬が篤かった。古来、新宮大明神と称したが、明治初年に篦津庄の氏神であることから、篦津神社と改称した。大正5年に安田村尾張の村社中田神社(もと熱田大明神日本武尊)、光の村社小田神社(もと山王大明神大山祇命)、八幡の村社八幡宮、湯坂の湯坂神社(もと稲荷神倉稲魂 神)、梅田の梅田神社(もと荒神素盞嗚命)を合併し、葦原神社と改称した。同14年八幡宮は分離。
湯坂、篦津、坂ノ上、梅田の4部落の氏神である。
天武朝に勅願により創建されたといわれることから、神社界著名人の参拝が多く記念碑も残る。
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