神社名 | 八幡宮 |
よみ | はちまんぐう |
住所 | 琴浦町大字八幡1245 |
祭神 | 譽田別尊 気長足姫命 足仲彦命 事代主命 |
祭祀 | 例祭10月15日 |
旧社格 | |
各種指定 | |
その他 | 社紋 丸に並矢 主要建物 本殿(大社造変形6尺6寸×5尺9寸) 幣殿 拝殿 参籠所 境内神社 牛馬荒神社 塞神社 稲荷社 境内面積 1,627㎡ 八幡地内、向原集落の南端に西面して鎮座。社叢はシイ、タブノキ、センダン、モウソウチク等で形成されている。 宝物等 湯立鍋(安政2年鳥取藩御用人因州山田市左衛門昌長 寄贈) |
由緒
創立年代不詳。正保3年(1646)に社殿を再建。
近世末期までは八幡宮と称し、明治初年に向原神社と改称された。同23年に八幡宮に復したが、大正5年9月、県・村当局の意向により葦原神社に合併された。
この時、合併を計る安田村当局及び警戒の八橋警察署と、合併に反対して「御神体を死守」しようとする氏子との間に厳しい衝突(宮事件)があった。
同14年8月、氏神の復祀は許可されたが、八幡宮を名乗ることは認められず、八幡字御﨑に祀られる事代主命(もと王子権現)を合祀して御﨑神社と称した。平成2年、大嘗祭記念事業として元の八幡宮に復した。
鎌倉幕府成立後、貞永元年(1232)に新補地頭の勝田太郎源某なる者がこの地を領して、鶴岡八幡宮を勧請して氏神としたが、建武の中興後、他地へ移ったことが伝えられる。(『赤崎町誌』)(『角川地名大辞典』)。