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多加牟久神社

神社名
多加牟久神社
よみ
たかむくじんじゃ
住所
鳥取市河原町本鹿387
祭神
大己貴神 事代主神 保食神 大山祇神
祭祀
例祭10月1日(9月最終土曜日)
夏祭大祓例祭には麒麟獅子舞が奉納される。夏祭大祓には茅の輪神事が行われる。
旧社格
郷社
各種指定

その他
境内面積 1,247㎡
本角集落南側の丘陵地に東面して鎮座。 周囲はシイ、カシ等の雑木林に囲まれている。
旧参道は、本角集落の中から石畳、石段等の長い坂を上るが、近年は本角の東側の農道を上り、本殿の横手より参拝する。

由緒

『延喜式』神名帳(927)に「多加牟久神社二座」と記載されている。近世まで岡大明神と称されていた。
『因幡誌』巻10によると、当社は今までに転変三度、当初は高尾山にあって、鳥居跡を牟久呂女田(本角の下、鹿野中井の村境)と言う。中頃に移転した処を古宮と言い、今の社地には元禄期(1690頃)に移されたと伝えられ、高尾山、牟久呂女田は社号の多加牟久に由来するとも言われている。
祭神について、『社伝』、『因幡誌』、『特選神名牒』等異説がある(大己貴命、事代主命、八上姫命、武牟口命)。
『伊福部系図』に大己貴命一四世孫武牟口命が日本武尊に従って当国の賊荒海を平定したという記事がある。
正徳4年(1714)10月、本社を再建。
明治初年に境内末社稲荷大明神(保食神)を合祀し、多加牟久神社の称に復した。
昭和10年より境内地を整備し本殿、幣殿、拝殿、社務所、手水舎を改築。
昭和12年11月、郷社に昇格した。本鹿部落の氏神である。
祭神に関わる地名が伝承されている。
「懸上り」(中井地内)大国主命八上姫命が八十神に追われて高尾山に至る山道を馳せ上がった処。
「イツガミ」武牟口命の子孫が神を斎き祭ったとされる処。
「宮ノ下」武牟 口命の子孫が住んだ処。
「穴久保」武牟口命の子孫が水路の無い処で稲作をしたと言われる処。 
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