神社名 | 都波只知上神社 |
よみ | つばしちがみじんじゃ |
住所 | 鳥取市河原町佐貫511 |
祭神 | 大帶日子淤斯呂和氣尊 日本武尊 天穂日尊 大己貴尊 三穂津姫尊 素盞嗚尊 櫛名田比賣尊 八上比賣尊 天太玉尊彦 火火出見尊 鹽土老翁尊 景行天皇 猿田彦尊 事代主尊 意富伊我都尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊淺崎尊 十握劔 保食神 罔象女神 倉稲魂尊 級長戸邊尊 帶中津彦尊 誉田別尊 気長足姫尊 |
祭祀 | 例祭10月5日 例祭に麒麟獅子舞が奉納される。 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 4,177㎡ 集落南方の山腹に北面して鎮座。 参道には樹齢100~400年、目通り2~4mのスギが林立し、 社叢は深い森である。 |
由緒
創立年代は不詳である。『日本文徳実録』巻三、仁寿元年(851)10月の条に「因幡国都波只知上神授従五位下」と記されており、『延喜式』神名帳(927)には「都波只知上神社二座」と記されている。
往古には1.2㎞奥の宮谷(上宮と下宮がある)にあったが、参詣に不便で後年現在の大智谷に遷されたと言われる。
近世は市大明神(又は大智大明神)と称されたが、文化5年(1808)、都波只知上神社の社号に復した。
明治元年(1868)、佐貫字西山の岩瀧龍神(倉稲魂命外一神)と境内の稲荷大明神(保食神)、字國本の高良大明神(帶中津彦命外二神)の三社を合祀した。
明治42年8月に字宮ノ前の村社岩坪神社(天穂日命外一八神)、字広イの村社白鬚神社(もと白鬚大明神伊弉諾命)を合祀し、大正410月に八日市字蜘蛛谷の村社八日市神社(もと妙見大明神素盞嗚尊外一神)を合祀した。佐貫・八日市両部落の氏神である。
なお『因幡誌』は『日本書紀』景行天皇12年10月の条(西国遠征)を引用して、「來多見邑、稻葉川、海石榴市、血田、禰疑山、城原」等の地名を当地方に結び合わせ、「この地海石榴市の神の鎮座の所にて祭る所景行天皇日本武尊二座とす。―中略―都波只知は海石榴市の仮名書きなり。土人今、市大明神と称するも故実の存する所にして殊勝といふべし」と記している。ただし、『日本書紀』 から引用されている箇所は豊後国での御事績であり、『豊後国風土記』 にも記載されている物語である。
幕末の当社神官國本道男は、因幡の国学者の先覚であった。