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杉谷神社

神社名
杉谷神社
よみ
すぎたにじんじゃ
住所
鳥取市気高町日光1035
祭神
天照大神 保食神
祭祀
例祭9月18日
春祭4月第三日曜日
春祭には榊と竜神神輿が村内を巡る。
旧社格
村社
各種指定

その他
本殿 大正4年建立
境内神社 荒神社
宝物等 「日光根元記(天和3年―1638―)」「亀井公寄進の高麗石」
境内面積 7,195㎡
集落東方の山腹に西面して鎮座。シイの古木がある。境内周囲はスギとヒノキの造林。

由緒

鹿野城主亀井茲矩が日光池を干拓して水田を開いた折、神霊の加護を祈って創建した神社である。
棟札の写しに「奉建立日光大明神一宇本願亀井新十良 天正一六載八月云々」とある。天正16年は1588年。以来、当村の鎮守であり、日光大明神と称していたが、明治初年、境内末社稲荷大明神(保食神)を合祀し、字名に因んで杉谷神社と改称した。
創建以来、亀井家累代の崇敬が篤く、津和野移封後も昭和に至るまで、祭祀料の奉奠・社殿建築費の寄付等がある。
出雲国造息女入水の伝説と、領主霊夢に依って水神を祀る以下の伝説がある。
土御門院の御代(1190~)、出雲国の国造北島某が朝廷歌会に召され上京の途次、当地に於いて洪水に遭い難渋した。水神に祈って曰く「往来を自由になし給はば、我が第三の息女を進上すべし」と。水神感応して海中に砂道を生じる。国造上京し勝歌の誉れを得るが、約に従い息女は入水のやむなきに至る。天正の世(1588)に領主亀井武蔵守、日光池を干拓して水田を開き、池中の怪魚蛇鯨を食したところ、凶事うち続き領主病を得る。枕頭に美女現れて曰く「蛇霊を祀るべし」と。依って宮社を建てて日光大明神と号する。後漸く病癒え村民栄えるところとなる(『日光根元記』、『稲葉民談記』、『因幡誌』)。日光祭は蛇祭だから必ず雨になると言われている。
現存棟札は慶長10年(1605)以降の29枚。 
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