本文へ移動

志加奴神社

神社名
志加奴神社 〈通称勝島さん〉 
よみ
しかぬじんじゃ
住所
鳥取市気高町宿527
祭神
大己貴命 素盞嗚命 少彦名命
祭祀
例祭10月19日
旧社格
郷社
各種指定
獅子舞が県無形民俗芸能 (昭和34年)
その他
本殿 寛政4年(1792)建立
境内神社 上坂神社
境内面積 12,243㎡
宿部落の東方、河内川の東の山腹に北西に面して鎮座。
石段120段。シイを中心とする社叢で、スギ、ヒノキ、ウラジロガシの大木がある。

由緒

『延喜式』神名帳(927)に「志加奴神社」と記載される名神小社である。近世まで、勝島大明神(志加奴神社勝島大明神)と称した。
『因幡誌』は亀井茲矩が鹿奴在城の時、当社地が城山から見下ろす位置にあったので、「柄杓目」(芦が谷)の地に奉遷し、後にまた現社地に奉遷したと記しているが、諸資料(『裁許状』、『神社明細帳』、口碑)によると、中古に鹿野村(鍛冶町)から同村ヒシャクメに移り、中世は宿村宮山ノ奥に転じ、その後現社地に移転したことがうかがえる。社地の移転は水谷川の氾濫、被災によるものと思われ、亀井氏在城はその後のことである。
武門の崇敬が篤く、慶長16年(1611)、領主亀井家より社領田1町歩が寄進された。
寛永10年(1633)、藩主池田家から社領石高16石4斗5升の寄進と共に、家紋である揚羽蝶を社紋として許可された。
明治元年(1868)に勝島大明神の社号を廃し、境内末社稲荷神(保食神)を合祭して志加奴神社と改称した。
大正5年、鹿野町の青木神社(もと青木大明神須佐之男尊)を合祀した。
境内末社上坂神社は、大正5年に二本木の小林神社(もと妙見)、重高の樽間神社(もと大宮大明神)、土居の山崎神社(もと山王)を合祀して一社を創立したものである。古鐘(元禄3年改鋳)があり、大東亜戦争中供出したが、戦後返還された。昭和39年、鐘楼を建立した。 
TOPへ戻る