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鷲峯神社

神社名
鷲峯神社
よみ
じゅうぼうじんじゃ
住所
鳥取市鹿野町鷲峯1061
祭神
大己貴命 素盞嗚尊 稲田姫命 稲倉魂神 大山祇神 
水分神 天兒屋根命 武御名方命 大山咋命 菅原道眞
祭祀
例祭10月29日
旧社格
村社
各種指定

その他
境内面積 11,972㎡
鷲峯山の西の山腹に西北に面して鎮座。参道を400m上る。
トチノキ、シイ、カシ等の樹齢300年を越える樹木も多い。
拝殿前の狛犬は、青谷の石工川六の傑作とされ、独特の表情をしている。

由緒

上古は絶嶺に鎮座。延暦年中(782~806)鷲峰山御冠嶽に初めて社を建てたと伝わる(『因幡誌』)。
『日本三代実録』の貞観4年(862)9月の条に「授因幡国正六位上鷲峰神従五位下」、同16年5月の条に「授従五位上」と記載されている国史現在社である。
その後、文保元年(1317)に中尾崎に社を遷し、元亀元年(1570)毛利氏により社殿を復興(古宮)。併せて神宮寺を建立した。
慶長元年(1596)1月、亀井茲矩により焼き払われたが、慶長17年(1612)11月、その子政矩が現在地に社を再興した(棟札現存)。
寛永10年(1633)、藩主池田家より社領16石1斗を寄進。享保4年(1719)の神祇道管領長の位記及び副書が現存する。
近世は志加奴神社鷲峯大明神と称していたが、明治2年5月、官命により志加奴神社の称号を廃し、鷲峰神社と改めた。
同年10月、南河内の子守大明神(水分命)、春日神(天兒屋根命)、諏訪神(武御名方命)、松尾神(大山咋命)、稲荷神 (倉稲魂命)、天神(菅原道眞)を合祀。
大正5年5月、鷲峯字天王の深谷神社(もと牛頭天王素盞嗚尊倉稲魂命)、飯里の飯山神社(もと牛頭天王)、下石の國石神社(もと国石大明神)、上原の原井手上神社 (もと荒神大山祇神)を合祀した。 
『因幡誌』には、神代の昔、八千戈神(大己貴命)が天羽車大鷲に乗 り妻妾を覔め給ふ時に此の山に降り給ふ縁によって、鷲峰と名付け、命を祭る神社としたとあり、その他、大山との争い、楯山のことなどの伝承を載せている。
近世まで参道脇に40の末社が並び、遷座祭に際しては三徳山の僧侶も供奉していた。 
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