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神前神社

神社名
神前神社
よみ
かんざきじんじゃ
住所
鳥取市青谷町鳴滝421
祭神
猿田毘古神 天宇受賣神 保食神 倉稲魂命 天津羽原命 
天津眞浦命 大山祇神 譽田別尊 武内大臣 天照大神
祭祀
例祭4月19日
例祭に祭員全員で大祓詞を奉唱する。午後大鳥居外の御神事場で神幸祭。神輿、神楽獅子、鼻高面、幟、 榊が加わる。
無音祭(オイミマツリ)と称する国家安穏を祈願する特殊神事。
毎年旧暦10月丑の日より酉の日に到る9日間大斎して耳造酒(ミミツクリザケ)を奉納する。その儀は極めて神秘厳粛にて一子相伝の秘事である。起原は古く、文永11年 (1274)及び弘安4年(1281)の役の際に霊験を仰いで以来、今に至るまで連綿と奉仕している。
旧社格
郷社
各種指定

その他
本殿 文政6年(1823) 修築
境内神社 釈迦殿 御霊宮
境内面積 8,061㎡
山麓に西面して鎮座。県道の東側に400m直進の参道がある。
御神木は、 ケヤキ(さいの神)(幹周4m)、イチョウ、シイ、スギの大木がある。

由緒

『日本三代実録』巻27貞観17年(875)3月の条に「授―中略―因幡国正六位上神前神―中略―従五位下」と記載されている国史現在社である。
慶雲4年(707)3月、鳴滝村字美古峯に鎮座され、降って至徳2年(1385)3月、同村字亀山の現社地(宮坂)に奉遷したと伝える。
往古より武将の崇敬篤く、永禄7年(1568)に、羽衣石城主南條氏が、神田1町8段を寄進し、慶長4年(1599)に、鹿野城主亀井武蔵守が神田1町9段を寄進した。
のち鳥取藩池田家から社領外高5石2斗3升の寄進があった。
明治初年、境内末社稲生神(保食神)を合祭した。
大正元年12月、山田の子守神社(もと子守大明神 猿田毘古神 天宇受賣神)、北河原の糟吉(かすなえ)神社(もと糟権現 保食神 倉稲魂命 天津羽原命 天津眞浦命)、吉川の菅田神社(もと山神 大山祇神)、亀尻の亀尻神社(もと青幡八幡宮 譽田別尊 武内大臣 倉稲魂命 もと伊勢宮 天照大神 保食神)を合祀した。
旧記に、元弘3年(1333)4月、後醍醐天皇が伯耆船上山に御遷幸の際、名和長年が勅を奉じて同月13日、代参をして帝位復興を当社に祈った時に奉納したと伝える、天皇着用の御衣の一部分及び行房の短冊があるという。
正徳9年(1719)の燈籠がある。 
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