神社名 | 野上荘神社 |
よみ | のがみしょうじんじゃ |
住所 | 伯耆町福吉264 |
祭神 | 天照大神 誉田別命 手力雄命 栲幡千千姫命 玉依姫命 倉稲魂命 速玉男命 伊邪那岐命 大山祇命 大日孁貴命 素盞嗚命 金山彦命 土祖命 奥津彦命 奥津姫命 素盞嗚尊 天忍穂耳命 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 |
祭祀 | 例祭10月9日 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | |
その他 | 本殿(切妻造平入1丈2尺×6尺大正11年建立) 幣殿 拝殿 神輿庫 随神門 参籠所 境内神社 武内神社本居荒神(土祖命外二神)剣御崎(素盞嗚命天忍穂耳命以下五男神)三女神(田心姫命外二神) 境内面積 837㎡ 主要地方道日野溝口線の西側、山の裾に東面して鎮座。参道の両側及び境内にサクラが多く、「八幡さんの桜」として 親しまれている。スギの大木がある。 |
由緒
創立年代は不明であるが、天照大神、誉田別命の二神合殿に祀り、天大明神八幡宮と称された。天大明神は三部郷(三部村は延長の頃(923~931)の村落で、日野六村の一である。外構村は三部村の内であった。)の開発と共に創立し、八幡宮は進氏(字殿の段は元弘の義臣進四郎三郎助貞の邸宅の跡とも言う。)の創建によると言われる。昔は二社が左右に相対して鎮座していた。永禄年中(1558~70)毛利の部将三村家親、香川光景等が転戦の途中当社に拠り、尼子の将山中氏と戦った時、社殿が兵火により焼亡した。二神ともに小社に奉齋されていたが、後年合併して合殿に奉祀することとなった。往古より郷中の大社で三部郷(野上莊)の総氏神として、野上莊大社、或いは総社と言われた。祈晴雨臨時公祭を一社限りで執行できる特例も持っていた。野上莊とは上代、下代、郷原、池田、畑中、二部、焼杉、須鎌、上の名、藤屋、船越、福吉(外構)、福島、三部、父原、古市、荘、中祖、宇代の一九村の郷名である。近世末、二部、池田、畑中、郷原の四村は独立して、王子権現(二部神社)の氏子とされた。嘉永元年(1848)の裁許である。天保14年(1843)5月、制札を許され、文久元年(1861)9月、幕・提灯に池田氏の紋章を用いることが許された。なお、天保5年(1834)の藩の『社寺領帳』に、「福吉村日光権現社領高五石二升四合」とあるのは当社に関する記事とも考えられる。
明治元年に村内の摂社天神(天穂日命)、八幡宮(誉田別命)、伽羅荒神(土祖命外二神)、御崎(大日孁貴命)、山神(大山祇命)、牛頭天王(素盞嗚命)を合祀して福吉社と改称。同6年福吉神社と改称した。大正5年、福吉の御児守神社(もと児守大明神と稲荷大明神 手力男命 栲幡千々姫命 玉依姫命 倉稲魂命 速玉男命)を合併。同11年に船越の船越神社(もと牛頭天王と山ノ神と金屋子神 素盞嗚尊 大山祇命 金山彦命)、福島の福島神社(もと伽羅荒神 土祖神 奥津彦命 奥津姫命)、須鎌の山口神社(もと山ノ神 大山祇命)、池ノ平の上ノ名神社(もと王子権現 伊邪那岐神 大山祇命)、焼杉の山口神社(もと山ノ神と稲荷大明神と日御﨑大明神 大山祇命 倉稲魂命 大日孁貴尊)を合併して野上荘神社と改称した。