神社名 | 賀茂神社 |
よみ | かもじんじゃ |
住所 | 倉吉市葵町584 |
祭神 | 賀茂別雷神 |
祭祀 | 例祭10月11日 例祭には、神振行事として本神輿、子供 神輿、飛天神輿(女性神輿)が一緒に進行する |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | 社叢が倉吉市保存林(昭和61年) |
その他 | 社紋 二葉葵 主要建物 本殿(入母屋造妻入向拝付檜皮葺1丈2尺四方 近世末期建立) 幣殿 拝殿 随神門 社務所 神輿庫 手水舎 境内神社 天満宮 稲荷社 境内面積 12,000㎡ 市街地の南方、打吹山の東方山麓に西面して鎮座。境内全域を二葉山と称する。 入口には「夕顔の井戸(天女が昇天した井戸…打吹天女伝説)」より湧出する清水の池があり、初夏には螢が舞う。 110余段の石段が直通する参道の両側にはイチョウをはじめ種々の大木が林立している。 宝物等「天拝石」「宮本包則の刀剣」「荒尾為就和歌百首」「宗源宣旨」 |
由緒
往古、山城国(京都)賀茂別雷神社の祭神を勧請して創建された。
『三代實録』貞観9年(867)4月の条に「伯耆国正六位上賀茂神従五位下」と記載されている。
貞治(1362~68)以後山名氏の崇敬を受け、七堂伽藍の神宮寺や末寺を有し隆盛を極めたと伝えられる。
戦国動乱期、兵火により社殿を消失。
天文年間(1532~55) に尼子晴久が再興。
その後、吉川氏が倉吉城を再興するに当たり当社を崇敬した。
慶長年中(1605頃)に中村伯耆守が社地72石を寄進。
その後、因伯領主池田光政の重臣伊木長門守、池田光仲の家臣荒尾志摩守等がこの地を守護し、領主から社領30石の寄進があった。
享保4年(1719)に、吉田家宗源宣旨により正一位を授けられる。
安永2年 (1773)屋根葺替の棟札が残る。
近世は賀茂皇大神宮と称し、国主よりしばしば雷除他の祈祷の依頼があり、祭日に寺社奉行等多数の役人が派遣された。
明治初年に賀茂神社と改称した。
現在は倉吉市成徳地区22町の氏神である。
貞享年中(1684~87)に天空より落下したといわれる鶏卵状の石(長50㎝)があり「天拝石」と称している。
昭和15年7月7日、本殿に向かって落雷があったが、本殿の前後にある二本の松に分かれて落雷し、社殿は無事であったので賀茂別雷神の神威の尊いことと語り継がれている。(双葉山落雷)