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小鴨神社

神社名
小鴨神社
よみ
おがもじんじゃ
住所
倉吉市大宮33
祭神
大己貴命 少彦名命 素盞嗚神 奥津彦神 
土祖神 奥津姫神 倉稲魂神 瀬織津姫神 
句々能智命 建御名方神 玉依姫命
祭祀
例祭10月10日
旧社格
郷社
各種指定
木造狛犬が県有形彫刻(昭和62年)
倉吉市保存林(昭和62年)
その他
社紋 丸に揚羽蝶 
主要建物 本殿(三間社春日造変形向拝唐破風造1丈9尺×1丈3尺 享保3年(1718)建立) 幣殿 拝殿 随神門 
境内面積 2,012㎡
大宮集落北方、田園中の平地にシイの大木を主とする社叢がある。南面して鎮座。クスノキ、ヒノキ、イヌマキの大木もある。 
宝物等 「木造狛犬一対」「三六歌仙絵扁額」(天文6年(1537)制作の裏書きがあり全国で六番目の古さ、中国地方で最古)「十二勇士血書 祈誓板」(小鴨大明神額面)

由緒

創立年代不詳。
京都の賀茂御祖神社より勧請されたと伝えられる。
小鴨郷内には、京都に類似した地名・寺社名が多くみられる。
古来より武将の崇敬篤く、文治年中(1185~90)以降、佐々木氏・名和氏・山名氏等の営繕が見られる。
寛正2年(1461)小鴨岩倉城主鴨部隠岐守久基、天正年中(1573~92)同城主小鴨左衛門尉元清等代々氏神として崇敬し、奉納の宝物(額面、十二勇士血書祈誓板等)を残す。
また寛永9年(1624) 池田光政・光仲両公の国替時に、天文6年(1536)3月12日刻印の、三六歌仙絵扁額が播州より奉納されている。
享保3(1718) に三間に二軒の本殿を造営。
郷内18ヶ村の大社として崇敬された。
近世まで小鴨大明神また大宮大明神と称していたが、明治初年に小鴨神社と改称し、摂社諏訪大明神(建御名方神)と山之神(句々能智命)を合祀した。
大正4年に、留海の村社富海神社(もと牛頭天王 素盞嗚神)、 小鴨の市場神社(もと三宝荒神 牛頭天王 奥津彦神 土祖神 奥津姫神 倉稲魂神)と宮村神社(もと三宝荒神 奥津彦神 奥津姫神 祖神)、下大江の岸神社(もと早瀬大明神 瀬織津姫神)、菅原の菅原神社(もと山之神 句々能智命 倉稲魂神)、東鴨の長坂神社(もと客神大明神 大己貴命 倉稲魂神)と弓削神社(もと牛頭天王 素盞嗚神)、中河原の中河原神社(もと三宝荒神 奥津彦神 土祖神 奥津姫神 倉稲魂神)、岩倉の岩倉神社(もと三宝荒神 奥津彦神 土祖神 奥津姫神 句々能智命)を合併した。
菅原、岩倉、大宮、弓削、長坂町、長坂新町、下大江、中河原、小鴨各地区の氏神である。
かつて小鴨神社摂社八幡宮(現在は廃社)があり、康平2年(1059)に八幡太郎義家公の家臣が軍鐘を奉納したが、後世、洪水の為流失 したと伝わる。
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