神社名 | 廣瀬神社 |
よみ | ひろせじんじゃ |
住所 | |
祭神 | 高皇産靈神 伊弉冉命 菊理媛尊 大己貴尊 倉稲魂命 句句迺馳命 |
祭祀 | 例祭4月23日 |
旧社格 | |
各種指定 | 境内林が倉吉市保存林(平成3年) |
その他 | 社紋 五瓜に反り五角 主要建物 本殿(入母屋造妻入向拝付6尺7寸四方 明治14年) 幣殿 拝殿 神楽所 参籠所 境内面積 1,245㎡ 廣瀬部落の南西、180数段の石段を登った山腹に東面して鎮座。四方は植林されたスギとヒノキの林になっている。シイの大木も多く希少昆虫ヒメハルゼミの生息地である。 |
由緒
創立年代は明らかでないが、往古、加賀国白山比咩神社より勧請し、社号を白山権現と称し広瀬村の産土神として奉祀した。
岩倉城主南條元清が社殿を現社地に遷して祭祀も荘厳に執行され参拝者も多かったが、南條氏滅亡後、野火のため社殿も焼失し衰微した。
祠官井上正忠が、衆を励まし元禄5年(1692)に社殿を建立し、盛大に鎮座祭を行ったと社伝にある。
明治初年広瀬神社と改称し、村内末社稲荷大明神と、山ノ神4社を合祀した。
明治5年に郷社小鴨神社付属の村社、6年には摂社とされたが、その後復興独立した。
廣瀬部落の氏神である。