本文へ移動

賀露神社

神社名
賀露神社
よみ
かろじんじゃ
住所
鳥取市賀露町北1丁目21ー8
祭神
大山祇命 猿田彦命 木花咲耶姫命 吉備眞備命 武甕槌命
祭祀
例祭 4月29日(2年毎の大祭を「ホーエンヤ祭」と称する)
秋祭 9月第一日曜(八朔まつりという)  
大祭には、神輿海上行列がある。約300名の供奉行列が台船にのり、船名旗を飾った数隻の船に曳航される海上渡御で船上で獅子舞・神楽を行う。
秋祭に赤ちゃんの泣き相撲奉納。
「もみ火神事」は、春祭の祭典に使用する「浄火」を成人を迎えた若人が桧板と枝を素手でこすりあわせ火をおこす神事で、祭りの4~5日前に行う。200年以前から伝承されている。
旧社格
県社
各種指定
「黒松社叢」が鳥取市保存林(昭和53年)
「麒麟獅子舞」が鳥取県無形文化財(平成10年)
「賀露神社春季祭礼行事(ホーエンヤまつり行列)」が鳥取県無形民俗文化財に指定(平成20年)
「賀露湊絵図」「賀露神社春季祭礼行事」等が日本遺産に認定(平成29年)
その他
宝物等 旧鳥取城三大太鼓の一つである大太鼓がある(安永6年(1777)作)
神社縁起として「元徳元年(1329)藤原朝臣高豊前守師直二男秋里玄蕃師永筆」「寛文12年(1672)小泉友賢筆」の2点あり。
境内神社 水戸神社(瀬織津彦神 瀬織津姫神) 船玉神社(事代主神)
境内面積 2,000㎡
鳥取港を見下ろす高台に南東に面して鎮座。
御神木は、クロマツ(樹齢800年以上 高さ20m)。社叢は樹齢500年~800年のクロマツで形成される。
URL

由緒

奈良朝文武天皇の時(701~)、山野育成の神「大山祇命」を伊予国から勧請し、賀露、秋里、江津、南隈、晩稲の5か村の総守護神として奉祀したという。
天平勝宝6年(754)冬、遣唐副使吉備真備公が帰朝の際、風浪の難の為に賀露津に漂着されたという故事により、吉備大臣の分霊を奉祀した。
六国史の『日本三代實録』の貞観3年(861)10月の条に、「因幡国正六位上賀露神授従五位下」と記され、以下、貞観16年(874)5月「従五位上」、天慶元年(877)6月「正五位下」、同12月「従四位下」、元慶2年(878)11月「従四位上」と5回の神階奉授の記述がある国史現在社である。
承徳3年(1099)2月26日、因幡国司・平時範が参拝した様子が『時範記』に記載されている。
戦国・江戸時代を通して武門藩主の崇敬が篤く、神田、社領の寄進や社殿の造営、奉幣が行われた。
寛文2年(1662)には現在の状態に神域が整備された。
現存の随神門は、藩主池田公が宝暦2年(1762)に寄進したものであり、三つ葉葵、揚羽蝶、祇園守の三紋が取り付けられている。吉備大神、賀露大明神と称され、『稲葉民談記』(1688)には「毎年7月7日祭礼ありて、国中の貴賤群集す…」と記されている。
明治17年(1884)、18年には元鳥取士族105世帯500余人の釧路開拓移住に際し、安全祈願をしている。
昭和54年(1979)、神社会館を建設。
平成8年、敬神婦人会を結成。
吉備真備公が帰朝の折、賀露津に漂着されたとの由緒があり、それに因む地名が数ヶ所残されている。その折、村人こぞって吉備公を陸地に奉曳したことから「ホーエンヤまつり」の呼称がある。
宮司岡村氏は天徳2年(958)より社家を継続し、現宮司で50代に及ぶ。
宗教法人鳥取縣神社廳

〒680-0015
鳥取県鳥取市上町87
TEL.0857-24-7699
TOPへ戻る