神社名 | 宮長神社 |
よみ | みやながじんじゃ |
住所 | 鳥取市宮長188 |
祭神 | 天鈿女命 保食神 |
祭祀 | 例祭8月1日 秋祭10月9日 |
旧社格 | |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 871㎡。市街地(美保南小学校の南側)に東面して鎮座。 モミ・スギ等も混成するが、タブノキ・モチノキ・カクレミノを中心とした照葉樹林。 |
由緒
創立年代不詳。古伝に「景行天皇の朝武内宿禰因幡國を巡視するや、未だ村里尠し、僅かに河辺に一小村あり、白衣の老人在り、天鈿女命の裔胤と称し、宿禰に謂て曰く、『吾が為に祖宗の祠廟を建てよ』と、宿禰乃ち社を築き奉斎せるに始まる。
その後、神功皇后新羅より凱旋せられ因幡国北浜に着せらるるや本社に報賽せられ、神託によりて社領を附し、本社に宮長の号を奉られしと伝える。
旧記録等は天正の兵火に遭って焼失。
寛政7年(1795)、「持宮相改帳」に公家大明神と見え、宮長、的場、大覚寺、西大路四ヵ村の氏神で社領5斗1升6合を付与されている。
『因幡誌』は公家の息女の霊を祭ったとする伝承を記している。
明治元年、境内末社稲荷大明神(保食神)を合祀して宮長社と称し、明治6年宮長神社と改称した。
かつて境内に在原行平が植えたという巨大な老松があって行平松と称し、亦同じく境内に名竹播殖し祭日に枝を切って笛をつくり吹奏する古式があったが、共に明治初年に根絶した。