神社名 | 大野見宿禰命神社 |
よみ | おおのみのすくねのみことじんじや |
住所 | 鳥取市徳尾80 |
祭神 | 大野見宿禰命 |
祭祀 | 例祭4月13日 麒麟獅子舞、榊、児童による和太鼓奉納 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | 社叢が国天然記念物(昭和9年) |
その他 | 本殿 大正7年建立 宝物等 「神馬の扁額(昭和60年)」「獅子頭一式(文政11年(1828))」 境内面積 9,312㎡ 千代川西の平野部、「徳尾の森」とよばれる小山(周囲約400m、高さ20m) の上に南東に面して鎮座する。石階70段。 全体にタブノキ・スギ・モチノ キ・シイ・クロキ・クロガネモチ・フ ジ・ヤブツバキ・サカキ等が繁茂し、 幹周4mを越すスギ3本・モチ4本・ シイ5本がある。 本殿左上方に、祭神の円型墳基(周囲43m)、本殿右下段に副葬遺跡がある。 |
由緒
創立年代は不詳。『日本三代實録』巻13、貞観8年(866)10月の条に「授因幡国無位大野見宿祢神従五位下」とあり、『延喜式』 巻10にも「高草郡大野見宿禰命神社」とある。
国司所祭の神社であり、兵火で焼失することもあったが、元和3年(1617)5月、明和4年(1767)10月、安政5年(1858)5月と社殿の造営がなされた。
最古の棟札は明和4年のもので「大野見大明神御霊社一宇建立」とある。現在の石段もその時の造設である。
現在の本殿は大正7年の建立。幣拝殿は昭和16年9月に造営した。
『日本書紀』巻6には、相撲の始祖、土師部(土器陶器を司る部族)の祖神とされる野見宿禰の功績が載っている。
古老の口碑に「祭神在世中に於ける領地内の旧居地に社殿を建立し、往古より土師氏の祖神たる所以を以て、参詣者各自手に手に土を盛り、持ち来たりて報賽せしが、歳月の久しきに遂に推積して一丘となれり。」と伝わっている。
例祭の前日に、氏子達が村の山からきれいな赤土を持ち帰り、それぞれの門前に盛っておく習慣が、昭和53年頃迄あった。これは、参詣者各々手に土を盛り、持ち来たって報賽した名残であるという。