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阿太賀都健御熊命神社

神社名
阿太賀都健御熊命神社 〈通称御熊神社〉 
よみ
あかたつたけみくまのみことじんじゃ
住所
鳥取市御熊612
祭神
御熊命 木花開耶姫命 天目一箇神 保食神
祭祀
例祭4月17日
旧社格
村社
各種指定
当神社一帯の玄武岩が鳥取市文化財に指定(昭和49年) 
その他
境内面積 264㎡
白兎の南方約4㎞の地に御熊部落があり、その西側の山腹に東面して鎮座。
玄武岩の自然石を80段険阻に積み上げた急な石段が神秘の趣を与えている。
境内は六角柱の玄武岩でおおわれタブノキの古木(幹周5.5m)、スギ(幹周4.6m)をはじめケヤキやカゴノキの大木がある。 

由緒

勧請年月は不明だが、『日本三代實録』 巻11貞観7年(865)6月の条に「因幡國無位阿太賀都健御熊命…中略…授従五位下」と記されており、『延喜式』神名帳(927)にも「高草郡阿太賀都健御熊命神社」と記されている。
近世、当社を柱ノ大明神と称したのは境内地の形容(石柱)によるものであろうが、往古より岩山を神と崇めたものと思われる。
略して御熊神社と称する。
明治元年(1868)に摂社鍛冶殿(天目一箇神)と稲荷神(保食神)を合祀し、大正3年9月に内海中の山田神社(もと山田明神・木花開耶姫命)を合祀した。
むかし、御熊の神が石橋を作り隠岐國へ懸け渡そうとしたが、一夜で造る計画が俄に夜が明けて成就せず、捨て置かれた跡であると伝えられている。
また、明治の終わり頃、氏子一同の奉仕で、神楽殿の平地より本殿までその玄武岩を用い数日がかりで石段を造り上げたが、翌日はもとのようになり、石段はなくなっていたという話も伝わる。
歌枕、因幡の「みくらのやま」は当地、御熊のこととされ、『更級日記』にも「わが身も、み倉の山に積み余るばかりにて」―財(材)を積み豊かになっての意―の記述がある。
宗教法人鳥取縣神社廳

〒680-0015
鳥取県鳥取市上町87
TEL.0857-24-7699
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