神社名 | 鳥取縣護國神社 |
よみ | とっとりけんごこくじんじゃ |
住所 | 鳥取市浜坂字鳥打1318-52 |
祭神 | 国家公共につくした人の神霊23,476柱 |
祭祀 | 春季例祭 4月22日 秋季例祭 9月22日 平和祈願祭 8月15日 春秋季例大祭には、知事以下県下公共団体長の臨席のもと、主として県下遺族が参列。鳥取敬愛高校生徒による浦安の舞他、詩吟・生け花等の奉納がある。 |
旧社格 | 指定護国神社 |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 8,768㎡ 鳥取市街地の北方、鳥取大砂丘を見下ろす高台に北面して鎮座。境内には数多の忠魂碑が建立されている。 |
由緒
明治元年11月12日、邑美郡古市村大字郭台(現鳥取市)に祠宇を仮設し、藩主池田慶徳が祭主となって戊辰の役に戦没した鳥取藩士の招魂祭を斎行した。これが当社の起源となる。
明治3年5月3日、邑美郡浜坂村大字代々山(現鳥取市)で招魂祭があり、後同所に社殿を建造し、同年9月当社の創立をみた。
明治8年、池田家より鳥取県に移管され、鳥取招魂社と称した。
明治12年12月、鳥取町西町旧新倉に移転し、次いで西南の役の従軍戦没者を合祀した。
明治30年11月、鳥取市上町樗谿神社(現東照宮)の付属地に移転し、その後日清日露戦争はじめ数度の国難に殉じた英霊を合祀した。
昭和14年4月、官祭護國神社の指定を受け、鳥取縣護國神社と改称し、社殿神域ともに整備された。旧本殿は昭和15年に菖蒲神社に譲渡。
昭和21年、占領下にあって因伯神社と改称。
昭和22年、鳥取市寺町の火災の飛び火により社殿を焼失。県立智頭農林高校の旧奉安殿の譲与を受け、これを本殿とした。
昭和27年1月、鳥取縣護國神社に復称。
昭和30年3月、伊勢神宮別宮倭姫宮旧殿の譲与を受け改築。旧本殿は八頭郡河原町山手神社本殿として譲渡した。
昭和49年5月、鳥取市浜坂の現社地に新設移転した。神宮より譲与された旧本殿は、日野郡日南町霞神社本殿として譲与した。